創業者・相澤秀禎について
相澤秀禎
(1930年1月20日 - 2013年5月23日)
芸能プロダクションであるサンミュージック・グループの創業者である相澤秀禎氏は、戦後の芸能界をそのまま体現してきたような存在で、芸能界では彼に悪意を抱く存在がいなかったと言われています。
相澤氏の芸能マネージャーとしての姿勢の大きな特徴は、「マネージャーたるもの、タレントの普段の顔を知っておく必要がある」として、所属タレントを自宅に下宿させ、ひとつ屋根の下で家族同然の暮らしをする、というものでした。
夫人のてる子氏も母親代わりとなり、所属タレントの本当の魅力を知っていくことで、眠っている個性を見出すということを行っていました。
松田聖子や岡田有希子、酒井法子などは自宅の6畳間に住まわせ、家族ぐるみで面倒を見ながら、社会人のマナーや礼儀を教え、そのためタレントたちからは「東京の父」「秀パパ」と呼ばれることもあったように、父親のように慕われる存在でした。
彼は生涯現役のマネージャー業にこだわり、それぞれのタレントの持つ個性を最大限に引き出すため、個々のタレントとの対話にじっくりと時間を掛けることで数々のスターを業界に生み出していったのです。
相澤秀禎氏が育てた主なタレント(順不同)
- ・森田健作
- ・松田聖子
- ・牧村三枝子
- ・安達祐実
- ・野村将希
- ・香坂みゆき
- ・岡田有希子
- ・ベッキー
- ・桜田淳子
- ・早見優
- ・酒井法子
ほか多数
相澤秀禎とサンミュージック・グループの歩み
- 1930年
- 1月20日、神奈川県横須賀市に生まれる
- 1948年
- バンドを結成
井上てる子と結婚
- 1949年
- 現社長である長男、正久誕生
- 1954年
- 「相澤芳郎とウエスタン・キャラバン」バンド内でプレイヤー(スティール・ギター)だけでなく、マネージャー業を兼務するようになる
- 1955年
- 長女、正美誕生
- 1959年
- バンド活動を終了し、マネージャー業に徹する
東洋企画に入社し、佐々木功、佐川満男、黛ジュンらを手掛ける
- 1961年
- ビクター芸能に転職し、新人タレントの育成に従事
自身の芸能プロダクション「竜美プロ」を設立
担当した松島アキラが「湖愁」でデビューし、その年の第三回日本レコード大賞新人奨励賞を受賞
- 1962年
- 西郷輝彦を名古屋でスカウトする
- 1963年
- 竜美プロを解散
- 1964年
- 西郷輝彦が「君だけを」でデビューし、その年の第六回日本レコード大賞新人賞を受賞
- 1968年
- 11月27日、「サンミュージックプロダクション」を設立し、新宿の三光町に事務所を開設する
- 1971年
- サンミュージック出版を設立
- 1972年
- 四谷四丁目に事務所を移転
- 1974年
- サンミュージック企画設立
白雪社(現・サンミュージックブレーン)設立
- 1991年
- 白雪社をサンミュージックブレーンに社名変更
- 1998年
- お笑いプロジェクト「プロジェクトGET」発足
- 2004年
- 12月、創業者の相澤秀禎が代表取締役会長となり、息子の相澤正久が社長に就任
- 2006年
- 7月、創業の地である四谷から左門町に移転
- 2009年
- 9月、所属タレントの薬物事件の責任を取り、相談役に退く
- 2010年
- 10月、会長に復帰
- 2013年
- 5月23日、すい臓がんのため逝去(享年83歳)